心を整える
我々が何か行動を起こそうとするときは、必ずといってよいほど、まず心を落ち着けようと心がける。大きく深呼吸をしたり、一度体の動きを止めて「落ち着いて」と心の中に念ずることが多い。

「一日一度は静かに坐って体と呼吸と心を調えましょう」という標語は、我が宗門、臨済宗妙心寺派が提唱する「生活信条」の一節である。

現代はせかせかとして心の安定を得ることの難しいこの時代であり、ストレスによって体調を崩す人もあまりにも多い。そのことによって命を落とすようなことがあれば自殺したのと同じことではないかと叫びたくなる。現代こそ心の落ち着ける時間を少しでも持つことが、人生でもっとも大切なことだと言いたい。

一口に心の安定といっても、なかなか容易に得られるものではありません。私たちはこんな経験を致します。我々は修業中に休暇をもらって自坊に帰ることを許されます。十日ほどの休暇でも楽しく、坐禅とは無縁の生活を送ってしまいます。僅か十日と思われるかもしれませんが、休暇を終えて僧堂に戻って坐禅をすると、姿勢も安定せず、呼吸も乱れがちで戸惑うことがあります。以前の状態に戻るまでに数日を要することも珍しくありません。心を調えることの重要性と同時に、坐禅を継続することの大切さについて理解していただきたいと思います。

あらゆる宗教は、心を落ち着けることを大切にしています。坐禅は調心法の中で、もっとも有名で多くの人が試みる方法です。これは仏教の一宗派、禅宗だけの特許でなく、天台宗には「摩訶止観」という調心法があります。一心に念仏を唱ええるのも念仏三昧という坐禅の一種ととらえてもよいと思います。百日回峰行なども同様です。最近、キリスト教の修道士の生活の中にも、坐禅が取り入れられています。禅宗が広くヨーロッパのキリスト教世界で受け入れられているのは、東洋の宗教、不思議な宗教という面で受け入れられているというより、坐禅という修行方法を受け入れているからであると思います。

ニューヨークの郊外に大菩薩禅堂という修行道場があります。指導者は臨済宗の老師で、西洋人を中心とした出家者が十人ほど修行しています。この道場は一般の人たちが料金を払って坐禅に訪れることによって経営が成り立っています。今から五年前雲水二十名ほどを連れてこの道場を訪れた時、この道場には週末を利用して坐禅にくる者、定期的に一週間程度ここに泊まり込んで坐禅をする者と、いろいろなタイプの禅会が開催されています。どれも予約者で一杯だそうでした。ニューヨークという都市に近いことから、ビジネスマンが多いのは分かるが、国連にやって来る世界中の外交官もここで坐禅する者があると聞いて、坐禅が宗教を離れて多くの人たちに不可欠のものになっていると感じました。市内に五階建てのこじんまりしたビルを持ち、ここにも毎日三十名ほどの人が坐禅に通って来ます。

もちろん有料ですが、徳源寺の坐禅会のようにほとんど費用を請求しないような会でなく、相当の金額を支払って坐禅をしていることを聞いて驚きました。近代文明の発達した現代において不思議な現象と思う人があるかもしれないが、私はこのような現代こそ坐禅のような時間を持つことが必要だと思います。坐禅をするとα波が現れるとか言って科学的に坐禅を研究する人があるが、僧侶達はそのようなことから坐禅を始めたものではない。どちらかと言うと、嫌々坐禅を始めたと言ってもいい。その坐禅が経験を積み重ねることによって「定力(坐禅による集中力)」が養われて、坐禅の大切さを確信することが多い。