2016年7月31日 更新

 

7月6日
ブータンの王族来山。前の王様の従兄弟に当たる人で。法堂の龍の絵が見たくて妙心寺を選んだそうです。ブータンでは龍が特別の存在で、妙心寺へ来たかったとのことであった。
7月8日
花園会会長会の開会式に出席後徳源寺へ戻った。
7月9日
朝九重部屋へ行った。親方と青木さんが椅子に腰掛けて稽古を見ていた。親方が慌てて椅子を取りに行って、隣に椅子を置いて隣に座るように勧めた。椅子席が珍しいので少し奇異に感じたがすぐ話しに入った。顔を見るとかなり痩せているので直視する事が出来なかった。「痩せたろう」「背中がこんなに痩せた、触ってみて」「夜寝ると骨が当たって背中が痛い」「触ってみてよ」ゴツゴツして驚いた。間もなくして雨が強くなり、外で見ている人に中に入るよう勧めた。食事になって「今日は焼酎にしようよ、オーイ千代の富士という焼酎をもってこい」と最後を感じていたのかと今になって思う。そう云えば食事が少なかった
7月10日
たいほうグループの小野金夫さんの一周忌。
終わって小方丈へ。親方に挨拶に行くと「もう帰るの」、このあと親方は力士に厳しい稽古を求めたそうである。青木さんの言葉を借りると「老師がいなくなって寂しかったのだ」更に、先日頼まれた墨跡について「墨跡を見ると病気が直る気がするからすぐ書いてよ」うんうんと生返事だった。
翌日は更に食欲が落ちた。

7月12日
温泉寺さんは相撲観戦で名古屋へ。親方の車が迎えに行った

夕食九重部屋で親方と一緒に食べたが、」親方はほとんど食べ無かったそうである。而も途中二階へ上がって横になったそうである。この頃は雑炊を遺徳に二口という状態だったそうである。
7月13日
レモンを一さじ、スイカを一さじ、東京へ帰り入院したそうである。温泉寺さんから墨跡の話しは本当だ早くかけよと云われたが・・・・
7月15日
今日は六時半から祝聖、開山堂諷経、間もなく法堂で解制上堂。数日来の風邪で声が出なかった、伝法衣から九條衣に着替えて仏殿で楞厳会、法務部で紫衣七條に着替えて山門施餓鬼。その日は風邪があって楽な山門施餓鬼だった。是でのんびり出来るのだが、明日からは中国参拝のため旅行の支度だった。

7月16日
翌日早い集合の爲、関西空港のホテルで前泊だった,浜北の瑞応寺、名古屋の禅隆寺、因島の対潮院、大分の法雲寺総長の正法寺本部長の地持院、温泉寺などが参加した.石家荘を離れるとき、翌日は豪雨の予報が出された。我々は新幹線で龍門の石窟に出かけたが、予報が外れ土砂降りだった。ホテルに帰ると石家荘北京が大洪水で、北京の道路が冠水して道路をモーターボートが走っていた。少林寺の住持が門まで出迎えて、山内の僧が正装で出迎えてくれた。至る所で歓迎され予想外だった

7月21日
飛行機が遅れ関空からタクシーで帰った、禅隆寺の雲さん達は、電車を乗り継いで帰ったそうだ。

翌日徳源寺へ戻りこ九重部屋の稽古を見た。親方の姿が見えないのでマネージャーを呼んで様子を聞いたら「悪いんだ、もしもの時は携帯に電話を入れるから」そんなに悪いのかと声が出なかった
2月24日
地蔵盆、中国で悪化した風邪に閉口

25日
總見寺の寺庭の葬儀に導師を勤める
26日
小方丈へ。明日は集団得度式だ

27日
禅隆寺、東光寺など会下の師弟が多かった。今年も去年も盛会だった。この行事は一人で唱え上げる事が多いのが大変でだ。その半月前頃に絡子が届き、安名を書くのが大変だ。

29日には徳源寺へ戻ったが、中国でこじらせた風邪のため暑中問候を変わっていって貰った

31日
花ちゃんが亡くなりました。 預けてあった宇佐美さんから危篤の連絡。徳源寺へ着いたのは亡くなる寸前抱かれて静かに静かに息を引き取った。葬儀は1日の午前中に計画しています。私が本山へ行って2,3ヶ月でぼけてしまいました。それから二年間宇佐美さんにはお世話になりました。四時半頃温泉寺さんから九重親方の訃報が知らされた。このことは別のページで。

9月

イタリアのアッジシで世界宗教者会議に行って参りました。アッジシは町全部が世界遺産になっていて。観光客があふれていました。ローマ法皇も参加され、各団体の代表が会うことが出来ました。一人一人に声をかけて回られました。退蔵院の副住さんの仲介によって、バチカンの日本大使の公邸に招待され、大使館のコックさんの日本料理を頂きました。

11月