徳源寺の歴史

平成12年11月26日更新


禅 堂
 文禄元年(1592)織田信長の次男信雄が、熱田に忠嶽(ちゅうがく)和尚を請じて、 徳源寺の前身である「清涼山宝泉寺」を開創したのが始まりである。
寛文2年(1662)に昭和区石仏へ移り、「蓬莱山徳源寺」と改称した。
寛保4年(1744)現在の地に移り、文久2年(1862)京都府八幡市(やわたし)円福寺の蘇山(そざん) 大和尚を請じて雲水修行の専門道場が創建(開単)された。
禅堂は開単当時の建物で、戦禍から免れ、徳源寺最古の建物である。平成10年解体修理を行った。
 蘇山禅師は師の大道円鑑(だいどうえんかん)禅師卓洲(たくじゅう)大和尚を勸請(かんじょう)して開山とされた。
また蘇山禅師は生前に神機妙用(しんきみょうゆう)禅師の号を賜り、以後歴代の老師方によって、本堂、庫裡、書院、仏殿、開山堂等が新築、或いは改修され、 諸堂が完備した。
 昭和20年5月14日の名古屋大空襲では、名古屋城の焼失と時を同じくして本堂・庫裏・書院など、大部分を焼失し、 かろうじて禅堂、侍者寮(じしゃりょう)、開山堂、仏殿が残った。

仏 殿

本堂  大玄関  庫裡
 昭和28年に本堂が再建され、続いて書院・太子堂・位牌堂・清涼窟(せいりょうくつ)を再建し、昭和55年に庫裡を再建した。
戦後、都市計画で境内は狭くなったが、現在は5,200坪の境内に約1,000坪の建物が建っている。
 蘇山禅師以来、綿密かつ峻厳な家風により多くの高僧を打ち出し、現在も全国より多くの修行僧が集まり厳しい修行を続けている。